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2017-11

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腹立松浦

バックにハロプロ・メンバーを従えた松浦さん。

歌うはあややヲタにはお馴染みの「I Know」。

フィリーソウル風のノリのいいサウンドと
頭上で丸を作る振り付けがキャッチーで
ライブでは欠かせないナンバーでございますね。

初見のファンでもフリ真似できます。(やると楽しいよ!)

しかし、上の動画を見てちょっとカチンときてしまった。


偉そうなんである。

貫禄ありすぎなんである。

みなさんももう一度見てください。

ハロプロ・メンバーをバックに従えて、
女王様の風格といえば聞こえはいいが、
上から目線がモロ出しじゃないすか? あややさん。

バックのメンバーに対してだけでなく、
客席にも上から目線が透けて見える。

「ハイ、ハイ盛り上げてやるよ」って言われてるみたいだ。
松浦さん、心から楽しんでないでよなぁ、どう考えても。

終わったあと、どこに食事に行くのか考えながら歌ってそうな気がするわ。
充満する小手先感。掌で転がしすぎですよ。

彼女の能力の高さには文句のつけようがないんだが、
なんか癪に障るなぁ。腹立つわ。

まぁいいかぁ。

それも松浦亜弥だ。
特にオチもない。

それも松浦亜弥つうことで。
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『AI KAGO meets JAZZ』を聴く

『AI KAGO meets JAZZ』を聴いた。

英語も歌唱も確実にスキルアップしているのだろうけど、加護ちゃんのボーカルの特色やタレント性を生かす形の楽曲とはなっていないと感じざるを得なかった。

生硬な英語に本格的にJAZZYなバック。バックのレベルは高く、ハロプロ時代のなんちゃってトラックではない。しかし、そこに届くには加護ちゃんのボーカルの実力がイマイチ足らず、結果としてアルバムトータルでは、チグハグで未熟な印象を受けてしまうのだ。

そんな楽曲たちの中で、群を抜いて良かったのは日本語で歌われるボーナストラックの「17歳よさよなら」(Wでも取り上げていた)。舌っ足らずさを残したスイートな声が踊るアンニュイなマンボ歌謡。これはキュートな曲だ! 

彼女の魅力を生かすには、中途半端な本格志向よりも、こうしたポップなコケティッシュ路線じゃないだろうか?! 背伸びしてここまで無理して頑張りましたではなく、もともと持っている魅力を磨いて拡大する方向にすべきだろう。彼女ははじめから余人を持って代え難いものを持っているのだから。英語も歌唱も確実にスキルアップしているのだろうけど、その見せ方に難あると思う。

ただ、こうしたチャレンジは今後の彼女のためにはなるだろう。

加護ちゃんのサバイブの仕方がとても興味深い(僕は彼女には芸人の意地、怨嗟のようなものを感じる)ので今後も追うつもり。頑張れ!!



気になってyoutubeでライブの映像を見たらCDよりもいい感じでした。
進化中ということなのかなー。
http://www.youtube.com/watch?v=KbtChZNVHS4&feature=related


やはりアルバムでジャズをリリースするのは早すぎた、というのが素直な感想です。
声はやや青みが増したとは言え、まだまだ桃色の甘さを持っているのだから、
そうした持ち味を活かす路線で頑張ってほしかったです。

つんくっぽさ(旅先メモ)

旅先でのメモ

●旅先ヘビーローテ・ミュージック

Mandre/SOLAR FIGHT
ANDROMEDA MEGA EXPRESS ORCHESTRA/TKAE OFF!
Caetano Veloso/SINGLES
松浦亜弥/想いあふれて
Buono!/Cafe Buono!
Buono!/Buono!2

この他にはビートルズやバッドフィンガーなど。松浦は前の日記に書いた曲をヘビーローテ。Buono!は、歌い出しが「ジェラス・ガイ」な「星の羊たち」がいいかな。これ、橋本淳、筒美京平コンビなのね。後は「ロックの神様」、「OVER THE RAINBOW」、「Goal」(ストリングスがイイネ!)の三曲をヘビーローテしていた。ミディアム・テンポのロック・バラードっぽいのが気分。

そこで考えたこと。

現在の松浦もBuono!もつんくっぽさがなくて良い。やりたいことがハッキリしている。
もちろんプロデュースがつんくではないからなのだが、その意味するところを考えてみた。

つんくが神曲を連発していたのは、試行錯誤していた作家としての黎明期。それは手探りでつんくなりに好みのポップスをコピーして作品を仕上げていた時期だ。外部に参照点を設けることで、つんくのコテコテ・ベタベタのキャッチーさが中和されていたように感じる。
その後、流行作家としての制作システム(と評価)が確定してからは、残念ながら品質はガタ落ちしてしまった。つんく的なるもの(表現性とシステムの両面)の誕生とともに音楽性は閉じて、何とも形容し難いつんくのベタさ(シャ乱Q時代のつんくのメイクを想起せよ)が煮詰まった作品が連発されるようになった。

つんくができなかったことはふたつある。
1 音楽性の面では不安なまま、外部に参照点をおいて作品を制作し続ける。
2 職人技に徹する。同じことを延々とやり続ける(中途半端なチャレンジを放棄する)。

優れた表現というのは、原理的に常に緊張やストレス、闘争の上にしか結実しないということだろうか。もしくは職人芸に徹しない事の凡庸さか。

いずれにせよ、記名的作家性の誕生とともに表現が閉じるというのは興味深い現象だと思う。

松浦亜弥アルバム『想いあふれて』レビュー

去年前半に買って一度聴いてそのままにしていた作品。少し聴いて「お、いいんじゃないかな?」と思ったけど、そのまま放置していた作品だ。最近気になってちゃんと聴いて見たところ、非常に素晴らしい作品でちょっと吃驚させられた。以下簡単にレビューしたい。

松浦さん、『Naked Songs』→『ダブル レインボウ』→『想いあふれて』と音楽的には確実にステップ・アップしてますね。胸を張っていいんじゃないの。これで成り立っているのなら、松浦さんはこの路線で続ければいいのではないかと思う。

まず気づかされることは、『Naked Songs』や『ダブル レインボウ』で志向しながらも完全には実現しなかったアルバムのトータリティーがぐっと向上しているということ。前二作に存在した曲ごとのバラツキ感、異物感がほとんど無くなって1枚のアルバムでひとつの作品として成立しているのだ。これはハロプロ関係のアルバムにおいてはかなり画期的なことではないだろうか?(刹那的刺激を強調するつんく作品がメインのハロプロ関係作品においては、なかなかこうしたアルバムでのトータリティまで行き着かないことが多い。ヲタには無用の注釈ではあるが念のため)

本作のバック・サウンドとリリックは、AOR寄りの作風――しかも良質なそれ――でほぼ統一されており、そうしたトータリティーがアルバムを聴取するに際して、通奏低音的に心地よい安心感とグルーヴをもたらしている。その結果、耳はイメージを結ぶ統一点としての歌手松浦亜弥の声にフォーカスすることになる。

そして、問題のシンガー・松浦亜弥はもはや単なるアイドルではなく、かと言ってありきたりのディーヴァでもない、その何れも肯定も否定もしない微妙なゾーンにおいて、絶妙な佇まいを見せているように思える(僕は松浦亜弥を技巧的観点からのみ評価するのは、現在の彼女をアイドルとしてのみ評価するのと同様、決定的に間違っていると考えている)。

彼女のボーカルの特徴はこうだ。素早い立ち上がりから真っ直ぐ伸び、やや鼻にかかった儚さを湛えた高音ボーカル――しかしそのまま減衰しない控え目な力強さも併せ持っている。真っ直ぐ伸びる人も、儚いボーカルの人も珍しくはないけれど、このふたつ――ある意味では相反する特徴――を同時に備えている人は少ない。

そんな特権的なボーカルが、このアルバムでは縦横無尽に、まるでよく手入れをした1920年代の名車T型フォードのように各楽曲の展開に沿って軽快にドライブしている。ディーバ系の所謂“上手い”ボーカリストには出せない未完成さから来る儚さを持ちつつも、一方で補完の視線、未完成の美学で解釈し切るには力感と安定性がありすぎる、こうした両義性、揺らぎにこそ松浦亜弥のボーカルの魅力はあり、その特質は本作で存分に発揮されている。

かつての彼女には音量の少なさをカバーするためだと思われるが、歌い上げる際やフェイクの際に、ややもするとビブラートを多用して間を持たせようとした傾向(それはまるで技巧の低い演歌歌手のように醜怪に映った)が存在したが、現在ではそうした問題はほとんど消滅しており(ある程度音量自体が上がったこともあるし、ボーカルのダブル・トラック、コーラス・ワークなどの歌唱以外のアレンジ・ワークでも対応している)、近年の研鑽を窺わせる。

そうした欠点も消化し、アイドルの初々しさとシンガーの安定性をともに兼ね備えつつ、しかし決してどちらか一方には解消されない重層的だが軽やかさを備えた存在へと進化した松浦亜弥のボーカル――それは余人をもって代え難い輝きを放っている。

そこにさらにバック・バンドやリリックなどの音楽的世界観の良質なトータリティーも加わることによって、『想いあふれて』はグルヴィーでメロディアスなシティ・ポップスの名盤となっている。なかでも「レスキュー レスキュー」から「Fallin'」にいたる流れは非常に秀逸であり、思わず聴き入った。それは“ガール”と“ウーマン”の間の揺れ動く時間――クリスタルでアーバンと言い切るにはまだ早い――を切り取る極上のライト・メロウ・シティ・ポップスの世界だ。

本作の松浦亜弥はアイドルという偏見からも、ディーヴァという願望からも逃走するように、儚く透明な声でしなやかなメロディを紡いでいる。そんな特権的な彼女の声が描く運動の軌跡を味わうのはとてもとても幸福な時間だ。『想いあふれて』はハロー系ヲタにはもちろん、一般のポップス・ファンにも自信を持って推薦できる名作である。

本作を手にした誰もが指摘するであろう瑕瑾はアート・ワーク。屋上屋を架すまでもないね。『ダブル レインボウ』よりは進歩していると思うけど……。じっくり時間をかけて、しっかり頭を使って作ってください。

売り上げは芳しくなっかたんだっけ? しゃーないね。目先の数字に一喜一憂することはない。株屋じゃないんだし。この内容であれば、10年後、20年後には間違いなくアイドル・レア・グルーブ名盤として再評価されているはずさ。J-POPに関心のあるリスナーなら一聴して決して損はないと思う。





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後藤時子さん

99年三女真希がモーニング娘。に合格して以降の時子さんの10年。

それはどんな人生だったんだろう?

早くに夫を亡くし、女手ひとつの居酒屋経営で地道に子供たちを守る日々。
平々凡々な日々。

そこに突然転がり込んだ娘の大成功。
真希の加入した「LOVEマシーン」一曲でモーニング娘。は
アメリカンドリームでもありえないような大復活劇を演じる。

しかし、姉を追うように芸能界に入った弟が問題を連発した。
そして弟の引退と同時期に姉の輝きも陰りを見せ始め……。

「興亡」つまり「栄光と衰退」を英語でrise and fall ofなんて 言うけど、
後藤家をまとめる立場の時子さんは、
まさにrise and fallを体言していた人生だったのではないだろうか?



非常に複雑な心境だ。言葉にまとまらない。

初期娘。における後藤真希の奇跡の軌跡に酔い痴れた者は決して少なくないはずだ。

身内であれば、より直接的な影響があっただろう。

しかし、パーティーは永遠には続かない。

「おあいそ」となった時、ヲタならば推しを代えればすむ事であるが、家族ではそうはいかない。

上昇/常勝の奇跡が止まった時、そこに起きたのは一体……



ここで、いや、ここからこそ、後藤の復活劇を見てみたい、
というのは強欲に過ぎるだろうか?

状況は極めて厳しいものに思える。

しかし、ここから奇跡の第二章の幕開けを見せてほしい。

強く生きてほしい。生きねばならない。

後藤真希がもう一度、笑顔で歌える日、それを願ってやまない。



謹んで後藤時子さんのご冥福をお祈りします。


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プロフィール

vivahiko

Author:vivahiko
横浜市出身。法政大学文学部哲学科卒業。既婚。一男一女に恵まれる。かつて人文科学系/サブカル系書籍編集者にして、モーヲタ(モーニング娘。ヲタク)でした。ここでは主にハロプロを中心とするアイドル音楽批評を書き連ねてみたいかと。
twitter:http://twitter.com/vivahiko

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